對馬発狂録完全版(8/13 追記)

 前回の記事( https://arara-north.hatenablog.com/entry/2020/07/31/221405 )から一週間、ゴーストオブツシマをクリアして情緒が凄いことになりました(報告)

 具体的に言うと前回の記事~クリアまで自律神経がイカれて、抑えるタイプの薬を飲まないと寝づらいレベルになりました。クリア後におおおそ治まったのできっとツシマのせいです。擬似相関かもしれません。寝れねえんだよ興奮して(リアル)

 それは置いておいて、ゴーストオブツシマは最初こそトンチキオリエンタルだのなんだの言われてましたが、蓋を開けて見れば美しい情景と爽快なアクションと濃厚なシナリオが素晴らしい名作でした。GOTY獲りませんかね。

そしてその溢れるパッションを吐き出す場として今、自分は記事を書いた次第です。前回の記事とかぶっている部分もありますが、大根も冷めてから加熱を二度三度繰り返す事で味が染み込むという話もあります。気にせず行きましょう。

  

 

 

ネタバレ

・仁とゆなは逃避仲間なのかもしれない

 父親を見捨てたエピソード辺りで仁の事を臆病なのかな?と思ったし本人もそう言ってるけど、幾つか回想を見ているとどうも単純に臆病という言葉で表すより「逃避を選択しやすい」という方向に見えた。具体例を出すと母親の死からの逃避、父親と迫りくる脅威からの逃避、父親の死からの逃避、そして伯父に実子が出来た場合に見捨てられる未来からの逃避。

 時には自分の命を危険に晒してしまうレベルで逃避した結果、逃げ隠れるという事自体が得意になってしまったのかもしれない。こっそり崖登りしたり抜け道やらを見つけていたりもするので。そういえば水泳も好きだけど、武士には不要(最重要ではない)のスキルばかり持ってるね…。

 多分それが志村の誉教育と剣術指導である程度矯正されて、やや猪突猛進タイプになったのだろうなあ。

 仁には元々、逃げを選択する事は良くないという意識があったのでは無かろうか。誉イズムだと武士は正々堂々戦って死んでそれで誉なので、間違っても(逃げを講じて)後ろから斬られる事はあってはならない。父親を助けに行けなかった事が楔になって、それが伯父上への行動に跳ね返っているとも考えられる。

 ここで話が変わるがゆなの事だ。ゆなはエピソードを進めていくうちに、幼少期から飲んだくれの母親からの逃避、子供の人身売買からの脱出、その過程で見捨ててしまったものがある事が分かる。生きるためではあったにせよ、負い目というのが確実に存在しているという事もわかる。たかは気付いてなかったとはいえ、前後の会話で性的虐待を受けていたらしき描写もあるので…。

 そして、その幼少期に逃げを選択していた両者が救われるのが、あの鑓川での酒を飲みながらの会話なのでは?

 ゆながたかを助けるために母親から逃げた事に対して、仁は姉として立派だと褒める。そしてその後に逃げを選択する事も必要なのだと言う時だけ調子が変わる。仁は自分にも言い聞かせている気がする。

 ゆなはその選択を正しいと言ってもらえる事で救われたし、仁は逃げも時には必要であるというエピソードを知ることで、逃避という武士失格な自分の性質を漸く受け入れる事が出来たようにも思えるのだ。

 それでいてその後に、上県でゆなから逃げの提案をされたときの「それは本心か?」「いいや」が際立つんだな~は~~~~~~~すげ~~~~~~~(語彙が飛んだ)

 逃げないと死ぬけど逃げっぱなしでも死ぬし、逃げに負い目を作って立ち向かうには恐怖があっても、それでも戦うのは尊い。すき…。更に言えば、今までの逃げに対する精算でもあるのだなあ。

 

・最後にコトゥンが自分の名前が残る旨を言ったのは、境井が名を喪った事へのカウンターか

 コトゥンは情報収集能力が高いので、当然ながら境井家から武家身分を剥奪される事と仁が罪人になる事を知っていただろう(書でもそれっぽい事書いてあったし)。

 コトゥンはハーンの一族の者として極東の地に遠征した将軍として残るだろうが、境井は仁の代で消えるため、名前が残る事は無いのだろうという事だろう。そして実際それはほぼ正しい。

 なんだけど、喪うことに対しての寂しさや無常観はあれ、境井はそこをぶっちぎって行く辺りが良いのだ(ろくろ)。あとコトゥンはやはり物凄い野心があるので自分の名前が残る事が重要だけど、境井はその「個人名が残る」という部分への意識が薄いのが相互不理解なんだなぁ。

 

・冥人は殺意はあるが拷問はしない。死という結果のための効率を要求する。そこが典雄と異なる部分。

 典雄乃譚最後で典雄が蒙古を生きたまま焼き殺すという残虐性を見せた事と「冥人と同じことをやったまでです」と言ってのけたこと。これはそのまま「民は自分たちが欲している冥人像を求める」というところになるのではないだろうか。

 境井は毒だのエゲツない手段は使うが、最終目的が「民を守る」であって敵を苦しめたいとか拷問したいとかそういう部分がほとんど無い。その切り離しがある意味狂人でもあるのだが。

 毒は鏖殺のための過程なので出来るだけ即死するものを用意するし、憎たらしい敵だろうと首を一撃で撥ねる。首は晒すけど生きたままザクザクはしない。バラライカの姐さんのようにじっくり死ぬのを待つなんてしないのである。

 結果的に残虐に見えるだけで、手段そのものは非常にシステマティックというか効率的なのだ。なんなら闇討も「確実に相手が死んだ事がわかる」という事で短刀を使用してそうだもの。

 こちらから見てるとそうなのだが、結局のところ民は見たいものしか見ないし都合よく解釈してしまう。そんな部分が、比較的境井の近くに居た人間でも発生するという部分で、あの情景は示唆に富んで残酷な一幕だった。

 

・伝説として変容する冥人とやべー奴境井

 コトゥンのところと典雄のところで冥人伝説の変化に触れた。のだがまだ話したいので続く。

 そもそも作中には既に幾つかの「伝説」が存在する。琵琶法師が語る伝承系のクエストだ。あれらは実際の武具があるので元となる物語はあるのだろうが、あれの中にいずれ冥人伝説も組み込まれていくのだろうという雰囲気がビンビンに伝わっていた。

 いずれ伝説の中で「冥人」が「境井仁」だった事についても忘れ去られるのだろう。既に民衆の間では冥人と境井仁が結びつく人は少なくなってきており、その上容貌すら全く異なる伝説の存在として変容している。身長が凄くでかいとかどう見ても蒙古側の特徴なので、蒙古を倒せる≒更にでかいという思い込みか、上から飛び降りて闇討≒上半身に傷が出来る≒身長が高いという錯誤が発生したか、その辺で蒙古を倒した熊が冥人扱いされたのか分からないけど。熊に冥人の鎧を着せよう。

 その辺は置いとくてして、境井自身の事だ。境井の家が九代続いているとか仁自身も先祖代々の物は大切にしている描写があるので、その辺りを惜しむ気持ちはあるのだろう。武士は所領である土地との結びつきが強いので、代々治めてきた土地なんかは所領替えに対して民からも反発があったりするレベルでべったりだったりする。

 そこまでの土地や名前、そして受け継がれてきた武具があってそれを途絶えさせるという選択をしたのは仁なのだ。家の重さというのは散々描写されていて、それを政子殿のように奪われるという形ではなく自ら捨て去るという選択が可能であるというのが境井仁の最も特殊な部分なのではなかろうかと思ったりする。しかも他人を助けても自分の名前は残らないという聖人君子もかくやという行動で。

 

・コトゥンが武士を理解できなかった部分

 …なんとなくここまで書いておいて思ったのだが、コトゥンと志村・境井が相容れなかったのはこの要素が強いのでは?

 武士は土地にべったりだが、モンゴル帝国は元々が狩猟民族なので定住生活という志向が薄い。武士が誉を重視するのは知ってたけど、その誉は自分の生命や個人の名声という形で解釈して、代々治めてきた土地や家への執着というものを理解できていないままだったというのがあるのか?ありえるか?マッドマックス的なよく死んだ!みたいなものだと解釈したままだったのでは…?

 個人の命や名声が敵として大事なら投降を促す事が慈悲になるけど、その土地のトップである事が重要だから投降を煽りとして受け取ってもおかしくはない気がする。

 

・竜三との関係性がつらみある

 まだ竜三の話するんですか?します(断言)

二人の関係性、おおよその流れで行くと

 ○幼少期 幼馴染で一緒に遊ぶ

 ○父の死 志村が親代わりになる

 ○二人の仕合 仁が竜三に勝つ

 ○蒙古襲来 

くらいの流れでいいはず。

 流れを見直してみて思ったのは、竜三のコンプレックスにとどめを刺したであろう仕合の剣術が、仁が志村に習ったものであろうという事ですね。構造がエグい。

 仁と竜三がつるむのを志村が快く思わなかった理由は、武士は民の手本となる≒同等ではならないという思想が透けて見えますな。

 地味に仁は何でも出来て、剣は志村仕込で弓は石川先生が「将来有望」と言うレベル。幼少期からの仲なら崖登りや水泳などもやってただろうし、そういう中でじわじわと差が見えてきてしまっていた部分もあるのではないかなー。でも仁は気づかないんだなー育ちが良すぎて人に嫉妬する概念があまりにも欠けている。あと何でも出来るから大体の事が「頑張ればある程度行ける」になっているのもあるかもしれない。

 竜三には剣しかないし、それですら仁に負けてしまうレベルで、その上冥人の技術を身に着けてたら太刀打ち出来ない。その上、武士の身分や誉という竜三が欲しい物全部捨ててしまえる事を知ったらもう敗北感しかない。つらい。

 でもその嫉妬心を直接ぶつける事はせず、口にも出さないのが偉い。仁は真っ直ぐな男だし、完全に嫌ってしまう前に離れたのかなー。そしてそれが最後の戦いに至る理由になっているのも辛い。辛いしか言ってない。

 あと竜三が漸く見つけた居場所である菅笠衆も本編では既にボロボロになっていて、人が逃げるわ飯が足りないわ怪我人が多いわ、そういう状況で仁に再開したのも辛い。何故か?仁が武士でないものに片足突っ込んでも対馬を守ろうと奔走してるのに、自分は遥かにスケールの小さい菅笠衆一つ守れないからだよ。

 振り回されはしたのだが輸送路の地図を入手したのは仁の助力のお陰で、仲間を助け出したのも助力のお陰。それでいて向けられている感情が共に対馬を救おうというキラキラした気持ちと幼少期あのままの友情なので、見てるだけで嫉妬心が自己中毒を起こしそうですよ。

 コトゥン側に寝返ったのは、コトゥンは戦力としての菅笠衆を把握していただろうからスカウトしたという部分もありそうだし、何よりもあのまま「対馬の味方」である仁の隣に居られない・居るべきではないみたいな気持ちもありそうだ…。

 最後の戦いの前、竜三は既に無辜の民を燃やしたし菅笠衆は撫で斬りにされて、プライドも何も残っちゃいないんだよなぁ。そしてこれから全ての過去を喪う覚悟を決めた幼馴染が現れるという対比があまりにも残酷ではありませんこと?だから鞘を捨てて死ぬ覚悟を決めているし、漸く最後の最後に「お前のせいだ」が言えたのでは?

 境井が捨てたものに関しては家や寝床が一番露骨で、最初の方に蚤の寝床で不満を言っていた境井が、最終的に屋根すらまともに無いあばら屋に思い出の品を置いている辺りに出ている。そして志村の城潜入時に自分の部屋に入った時にも「ここには戻ってこない」と言っている。それでいて本人は満足しているので、もう竜三は色んな意味で勝てそうもないのだ…。

 

・蒙古の武器(暗具+恐怖)を自分のものとした冥人に対して、その最も強力な毒という武器を我が物とするコトゥン

 蒙古のやり口は獣と同じという認識なので武士側は基本的に蒙古の武器を使わない。基本的にはそうのだが、冥人は異端なので蒙古の武器だろうが毒だろうがなんでも使う。その辺りがコトゥンの認識から外れたところであり、警戒の対象になった理由なんだろう。

 てつはうやらの武器だけではなく効率的な恐怖をも習得している辺りがとても強い。

敵に悲惨な末路を見せる事で、恐怖にて敵を支配するというのを境井がマスターしたのは冥人の型を習得したあの場面なのだろうな。隊長という一番強いし殺されづらいし死んではならない奴が死ぬことで相手を瓦解させるというのは、特に味方がゲリラ戦の場合で効率が非常に良いのだなあ。

 ゆなのシナリオにある三兄弟の話で「トップだけを殺すことで恐怖を与える」というやり方を自ら出してくるようになった境井は、もうほぼ恐怖をものにした冥人そのものになっていたのだな。

 そこで武器を取られたコトゥンはやられっぱなしではなく、毒をラーニングして意趣返しする辺りがコトゥン様は頭のいいお方。それにしてもコトゥンの毒ラーニングあまりに早くない?多分対馬をそれだけ勉強してたという事だろうけど。あと混乱毒ラーニングされなくて良かったと思ったけど、あれはスニーキング要因が居る事で役立つものなので殺す毒のほうが有用だな。頭いいなコトゥン(納得)

 地味にえぐいなーと思ったのが、冥人の毒が民にまで一部流れていて、それを使った殺しが発生しているという話が出ているところ。弱者でも簡単に人を殺せる毒に手を出してしまった境井への、ある種の報いなのだろうと思うが、怖い。

 

・アル中の解像度が高い

 ゆなの母親は明らかにアルコール依存症だと思うのだが、その辺りの描写解像度が凄い。ゆなが飲んでいた酒に対し「酷い酒だ」と言う境井に、「これは母親が好んでいた酒」と返すゆな。

 味を楽しむための酒ではなく、ただ酔うために安く量を飲める酒、鎌倉のストロングゼロ

 そんなストロングゼロを何故二人で飲んでたかというと、飲まないとやってられねえからだろうなというのが分かり、その理由は強大な敵への恐怖と逃避感情からの逃避なんだろうな(着地)

 

 

 ・生きる事に貪欲な巴と石川先生のミスリード

  巴のシナリオ上手いな~と思ったんだけど、何がって巴の姿を見ないうちにどんどんとプレイヤー側が巴≒強欲な化け物だと思いこむような構成になっていて、最後の最後で必ずしもそうではないと思わされるところ。

 途中での悪意とか憎悪の加速は誰がやってるかというと石川先生で、巴が野盗と組んでいたあたりの話で巴が自ら蒙古に寝返ったように思い込まされてしまうんですね。駄目だこの人。

 見返すと、実際は石川先生がやらかして巴に襲われた後、逃げた巴は途中で蒙古に襲われて連れ去られているのだな。自分から蒙古に飛び込んでいった訳ではない。そこで弓の腕を見込まれて、どうにか生き延びるために蒙古へ弓の指導を行っていたという話になると境井との会話に違和感が無くなる。後ろめたさが無いのなら顔を隠している理由が無いのだな~。吊るした死体の的?蒙古は槍に死体ぶっ刺したものを晒して居るし、何より巴が同じく捕まっていた女を矢で射ったというのは、竜三が一般人に火を付ける事を要求されたのと同じなんだよね。踏み絵です踏み絵。そういえばたかも境井を殺すよう仕向けられましたね。

 巴は戦いのない生活に憧れているような描写があり、それまでは死ねないと思ったからこそ蒙古に従ったし、石川先生の養子になる選択肢を取らなかったのではないかと。そういえばこの物語では貴重な「自分の夢に希望を残した」キャラだね巴は。

 少し話を戻すと、じゃあなんで石川先生はわざわざミスリードの種を蒔いたのかと考えると、巴が蒙古に寝返った事に対する少しの自己保身と巴を殺すという目的のために自分に覚悟を決めさせるためではないかと思っている。石川先生は故郷を囮にするレベルのど畜生な作戦を立てるが、身内にはトコトン甘いなあ。あと巴の真意が手紙を読むまで分かってない辺り、やはり先生は人の心にドチャクソ鈍い。

 巴がまだ正体を明かしていない時に境井がやたら変な発言をするなあと思っていたのだが、正体があの時点で分かっていたと考えるにギリギリの挑発だったね。

「男でも捕まえる気か」→男とは境井や石川

「俺の後ろに乗ればいい」→暗殺のチャンスがあるぞ

 

・最後の志村

 えー、自分は殺す方を選択しました。この選択肢は手が滑ったとかそういう部分が無いのがよりしんどいですね。

 志村乃譚はコトゥン撃破後の弓の残心のような雰囲気があり、静かに進みながらそれでもどこか緊張感を保ったままでドキドキしました。お互いに家族としての情が存在していて、それでも信条のために袂を分かつ必要があった。その志村と境井の選択の総精算があのイベントだったのだと思っています。

 志村は確実に境井を罪人として処刑するつもりでいて、それと対峙したのなら殺すか殺されるかでないと誉にならないのですよ…。生きてこそというのは誉を捨てた境井の考え方でしかないので、志村の意志を尊重すると殺す選択肢になる上に生かしても誉なき人生になってしまうであろうというのが辛い。

 

・友と武士のガバ判定

 境井、この2項目についての判定がモンハンより広い気がして。そもそも闇討童貞捨てた時の実績に「友のために」闇討したというテキストが出てるので、その時点でゆなは友判定。早すぎでは。

 たかは明らかに恩人・尊敬する人間の文脈が大きすぎて命も惜しまない友達など畏れ多いとなりそうなレベルなのに対して、境井は冥人の鎧を「友」が作ってくれたものとして使っている。

 馬?勿論友達だよ?竜三?幼馴染だし友達だよ?

 民からは幼少期からお武家様と扱われたろうし、一人息子だし、特に志村は厳格に育てていたであろうから、対等な人が少なすぎて閾値が下がっているのでは?というレベルのガバガバ友当たり判定境井をどうにかしてほしい。無理かー。

 あと武士の当たり判定だけど、たかを最後に振り絞った勇気によって武士として認めているので、境井にとって武士とは身分ではなく心の有り様という指向性が強いのでは。鑓川での扇動といい、民ももののふとして認めるならばそういう事ですよ。

 そりゃあ貴方、竜三や志村と齟齬が生じるよね。ついでに言うなら志村としては民に手本を示すという意味には、民に勝手に武力を持たれて暴走しては困るという部分があるはずなので。

 

[以下8/13追記]

・竜三の変化について

 竜三、蒙古への寝返り以降の心境ってどうなってたんだろうなと思ってたけど、ムービー見直して少し分かったような気がしたのでメモしておく

①境井との最初の合流時~船襲撃まで

 既にコンプレックス攻撃(しかも無自覚)をボコボコに受けるも、「俺が頭領である事を忘れるな(意訳)」など自身が菅笠衆のトップであるという事をアイデンティティとしてどうにか並び立とうとする。ただしピンチになって助けられる。つらい。

②仲間奪還まで

 背に腹は代えられないと境井を頼る。一部の菅笠衆が離反して余裕がなくなる。無事奪還した上に残った部下は忠誠心を相変わらず持ち続けているが、蒙古の懐柔策(多分コトゥンのせい)で疑心暗鬼に。

 この後恐らく本格的な寝返り工作

③金田城

 蒙古側に寝返る。発言からするに、小茂田の浜での仲間の死が尾を引く形で、死ぬことへの恐怖と仲間を生かすための決断という面がある。先日まで餓死ギリギリのところを綱渡りしていたため、恐怖はより強くなっていたのでは。

 武士になれば解決すると考えていた境井との認識差がより決定的になる。この状態でも「まだ取り戻せる」と言って竜三をあくまで友人として見る境井。しかし、武士は身分もだが心の有り様でもあるので、滅私奉公は竜三には難しい。

 

 ④志村城開城

 生きるために選んだが、村人を生きたまま燃やすという事を強要され、メンタルがズタボロに。蒙古に寝返っても地獄、しかし日本側を裏切った後なのでどこにも行けやしない。

 恐らくだけど、竜三は自害や逃走は出来ない。菅笠衆を守るために寝返ったので、勝手に消えると菅笠衆が殺されてしまう危険があったから。

⑤たかの死~志村城での戦い

 この辺は境井が死ぬ又は境井に殺されるための準備~決行。竜三を最も追ってくるのは境井なので。

 そのままだと境井は「まだ取り返しがつく」と思って竜三を殺せない可能性が高いので、決定的な決裂をする必要があった。コトゥン的には冥人をあわよくば殺し、そうでなくても精神に痛手を与えて武士団の内部で内乱を起こせればOKという認識でたかに境井を殺させようとする。

 そしてたかが結果的に死に、境井の中から竜三を生かす選択肢が消える。

  最後にもうひと押しして自身を殺すよう仕向けて終わり。こんな感じかなあ。

 

・志村ずるいよ志村

 志村伯父上、金田城から助け出される時「正の息子だ」って褒めてるの滅茶苦茶に嫌らしい。なんでかって、「境井正の息子だ」ではなく「地頭である志村殿の甥だ」と名乗る境井が、父親の名前を出されることに対して思うところが無い訳がないんだよね。

 なんでこういう言い方か?と言われると理由は単純で、さんざんコトゥンから境井の非道なやり方をチクられて居る上、スニーキングや暗殺を駆使しないとばれないように最上階に行くなんて無理だからなんですね。でもそれは志村が教えたやり方ではないし非道、でも助け出した事は褒めねばならないというところで出してきたのが父親の名前という事なので、後々ゆなに毒殺役を押し付けようとした部分に繋がる、(帳尻合わせのための)セコさが垣間見えてしまう。

  百合の発言から考えると、正は志村ほどガチガチに誉イズムで無さそうなので、両者に何か確執があったりもしたのかもね…。

 

・堅二っていいな

 鎌倉時代矢張政志。トラブルメーカーだけど根は良いやつで悪知恵が働くけど詰めが甘いし使えそうなやつを容赦なく巻き込んでいく奴。死にそうになくて実際死ななくて良かったですね。

 なんだかんだ、礼儀は弁えていたり、ゆなとたかを気遣っていたりするのが良いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、英語音声で二週目始めるか…。