オタクと解像度の話

どうして人はオタクになるのだろうか。

オタクの定義

オタクという言葉一つ取っても、媒体によって色々とブレがある。

特定の分野・物事には異常なほど熱中するが、他への関心が薄く世間との付合いに疎い人。また広く、特定の趣味に過度にのめりこんでいる人。「アニメ―」(※一部抜粋)

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1710/25/news114.html

 

俗に特定の分野物事好み関連品または関連情報収集積極的に行う人。狭義には、アニメーション・テレビゲーム・アイドルなどのような、やや虚構性の高い世界観を好む人をさす。 漫画 ④ 多くオタク書き代名詞としてこの語を使う人が多いことからの命名という。1980年代中ごろから使われる語https://www.weblio.jp/content/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8F

 等々、ここではおおよその共通項を取って「特定のものにのめり込む人」というのを仮に定義する。

 

常日頃、自分も色々なコンテンツに触っている身として、肌で感じているのは個々のセンサーと範囲がバラバラだという事だ。

 

オタクとセンサー

これはオタクを判別するセンサーという訳ではなく、オタクになりやすい人というのは特定事象への解像度が(ときには異常なほど)感度がいいのではないかという仮説だ。

人間、生きている時は目や耳というセンサーで得た情報を、脳が解釈して認知しているのだ。しかし、この解釈の部分で解像度が異常に高い人というのは確実に居る。

自分はブラタモリが好きで良く見ているのだが、地質が大好きなタモさんとお供の女性アナウンサーの人では、同じ風景を見るのでも解像度がかなり違う。ここに坂があるのは何故か?山があるのは何故か?川が蛇行しているのは何故か?そんな部分に興味を持って歩く人の割合はそう多くはないと思うが、興味を持つと全く違う景色が見えるのである。

これらのセンサーと解像度の向上は自分で鍛える事も出来るし、興味を持って知識を蓄えることでより研ぎ澄まされていく。そしてまた得られる情報が増える。正のサイクルだ。

時々「推しの新情報で体調を崩す、最終回により会社を休まざるを得なくなる」などという情報が散見されるが、この場合バグレベルで解像度が高すぎて情報のオーバーフローを起こして制御が不能になっているパターンではないかと推測する。

一を聞いて十どころか百くらいに増幅されてしまうがゆえに、脳みそが簡単に暴走状態になってしまうのではないだろうか。

 

指向性

感度や解像度にも個人差があるが、その指向性(どの方向に向かうか)というのもかなり個人差がある。何にでも興味を持つ化け物みたいな人はたまにいるが、大体は一定の範囲に限定されている。それが悪いという訳ではなく、全てに興味を持ちかつ全ての感度が高いと、入ってくる情報量をコントロール出来ない場合は情報に押し流されて社会性が終わってしまう。

このへんのコンテンツが好きならこれも好きかなみたいなマーケティングは、指向性の範囲に入りやすくするものではないかと思う。

 

オタクと社会生活

オタクはオタクである事を隠して生きなければならない、という事は昨今は大分緩和されているものの、まだ言われている節はある。

これは社会生活を送る上で必要十分なセンサー感度や指向性と、オタク気質として備わったセンサー感度や指向性に乖離があるためではないかと思う。

会社でアニメに涙ぐむ感受性は(コンテンツ系の企業でなければ)不要のものとされるが、既に備わってしまっているものを無理に押しやるのはメンタル的にも悪い。この辺りをドライに考えると「金を貰うためだけに働く」という事になり、それはそれで悪いものでは無いと思う。というか労働が生きがいになってる人であんまり良い例を(自分は)見たことがない。