對馬発狂録完全版リターンズゴールデン

 ツシマが熱い今日このごろ。皆様、如何お過ごしでしょうか。

 これを読んでいる人には今更かと思いますが、ツシマとはゴーストオブツシマというゲームのことで、2020/10/02現在PSStoreでセール中です。買おう。

 ツシマに関しては既に2つの記事を書いているのですが、この度二周目(万死)を英語音声でクリアして再度見直すことで色々と気づきなどがあったので、また筆を執った次第です。2つ目の記事を再度修正するという事も考えましたが、色々考えた結果「これふせったーの奴も合わせてコピペして書き直して一個の記事にした方が早くない?」となったのでそうします。文体が違ったりしてますが気にしないで下さい。私は気にしません。

下の「ネタバレ」をクリックすると読めます。

 

 

 

ネタバレ

・ゴーストオブツシマは境井仁が死から生を自ら選び取るに至る物語では?

 仁は最初に小茂田の浜で「俺はここで命を捨てる」って言ってて、そこから最後の志村戦で「死ぬわけにはいかない」となるんですよね。

 仁は小茂田で死にぞこない、金田城でも死にぞこなってしまう。ここでの死とはつまり志村の言う武士らしい誉ある死です。金田城二回目でもまだ命を捨てる覚悟がある。高野山砦~志村城で竜三を殺すまでは死なないが、武士として罰を甘んじて受け入れるという方向なので、まだ命を捨てるという部分が十二分にありますね。堅二に助けられて「民は生きて欲しいと願っている」という部分を受け入れ、最終的に命を賭してコトゥンを討つ。そして最後の最後、志村戦で武士という軛から解き放たれた仁が、初めて自分から「生きるというエゴ」を選択するという幼年期の終わりを迎えるのですね。尊いですね。

 その逆になっているのが竜三で、小茂田を経て自分と菅笠衆が生き延びるために手立てを尽くす訳ですよね。そして竜三は蒙古に降るという選択肢を選び、民を生きたまま焼く事を強要され、高野山砦で仁と致命的に決裂して、最終的には志村城で「仁に殺される」を選ぶという流れになっていて、あそこまで生に執着してた人間がどんどん死ぬ方向に向かってるんですよね。

 よく考えたら「まだ戻れる、やり直せる」と言う人間が金田城前後で逆転してますね。鬼か。

 

・正と仁、境井家の依存体質

 父である正と子である仁、かなり似通っている部分がありそうなんですよね。まず親しい人間との離別に対して感情的だったり衝動的になってしまう部分。そして恐らくですが、誰かに強く依存してしまう部分。

 正は妻が亡くなった時に無気力になってしまったり、仁が行方不明になって気が動転したりしています。仁はどうかというと、竜三の裏切りに対して冷静さを喪い、高野山砦に単独で向かって後ろの人間に気付かない、たかの死によって感情を露わにしている部分があります。また、志村からの離反後に「伯父上は俺の全てだった」という旨の発言があるように、強く依存している事への自覚があります。

 恐らく正は妻にかなり依存していて、それは百合ではどうしようもない位に強かったのではないかと思います。両方、依存対象が志村の人間ですね。

 仁がそこから離別を選択出来たのは、ゆなという新しい依存対象、兼、受け入れてくれる人間が居たという事、そして自分は伯父上に依存している事を自覚出来る程度に客観視出来る頭があったからではないかと思っています。

 あと、ゆなが第三者から始まって距離が近くなったのと、彼女がここから先は駄目とはっきり線引をしてくれる人間だったのも大きかったのでは。仁は近い人間だと距離感を誤りますが、第三者であればそこそこ冷静に見られる部分もあるので…。

 しかしそれはそれとして仁のゆなへの感情(というか依存)はでかい。本土への船が用意出来た辺りでゆなが自分から離れる事に対しては理性でギリギリ抑えてるけど、明らかに拗ねると言うか当てつけるような言葉を聞こえない小声で言ってるもの。その前の鑓川の兵たちを戻すミッションの時は、ゆなに対して思うことはあっても口に出さなかったもの。

 

・志村と境井の齟齬

 志村は「戦の後」を考えていて、仁は「今目の前にある戦」を考えているので考えがズレてしまう。鑓川みたいな反骨心の大きい在地の人間たちを治めるのは並大抵ではないだろうし、模範としての行動をするのはある意味で正しい。ただ、その結果志村は戦略面における「人を集める」という部分にはかなり理屈の有る行動をしているのに対し、戦術に関してはその集めた人を突っ込ませて死なせる方向にしか行かなかったのが原因の一つだろうな。

 そして自身の誉を重視するあまり浜の時と同様な真っ向勝負をしようとし過ぎる事が仁の志と齟齬を来したのだな。向こうが人質や脅迫、外道な手段をわんさか使ってくるなら、体裁を気にしている場合ではないのだ。そもそも武士が民の手本となる前に民が死んでしまうと意味がない。だから「誉で民は救えません」。そも鑓川については「他の武家が自分たちを守ってくれなかった」という部分もあるので。

 そも仁は断片的な会話から「かなり頑固」「実利のために手段を選ばない傾向」があって、それが伯父上の教えで誉を求める方向に矯正されていただけなんだよなあ。元々五武家も志村を頂点とした体勢ががっちりとハマっている訳で無いのだろうけど、境井と志村の主従関係がそもそもかなり公私混同している上に、境井は「自分の考えた正しさ」を優先する方向があるのでそれがこの蒙古襲来で表層化したという話なんだろうなと。

 伯父上に肉親としての情は確実にあっただろうし志村を継ぐことに当初は異論が無かっただろうけど、最後の駄目押しが「ゆなが毒を盛った事にしよう」ですよ。城を落としたのは確実に境井の毒のおかげだし、それが行使されなければ大勢の民が犠牲になっていたのは確実。しかも自分が武士として生きるためにゆなをスケープゴートにしろと言ってくる。

 伯父上としては潔白な武士として自分の跡を継いでほしいという気持ちだったのだろうが、ゆなにまで誉の価値観を押し付けてくる伯父上には、仁の中で既に志村の誉が暴落している事は分からないのである。そういうとこだぞ伯父上。

 そこで仁は武士に失望したんだろうなあ。武士として生きるためには少なくとも多数の民の犠牲を要求せざるを得ない。それは志村がゆなに協力を強要してきたのも一つ。仁が対馬を巡る間に、名前の無い民の死を見過ぎたのもあるだろうな。武士が誉を残せるのは覚えている人や物があるからで、村人の死体だけでは名前もわからず頭を下げる事しかできない。無常ですよ。

 だから志村仁を否定して冥人を名乗ったのだろう。武士の誉では民を守れず、むしろ犠牲をいたずらに増やしてしまう。民を守るのは冥人という名前のわからないヒーロー。民もそれを望んでいて、幽閉された仁を助けに来たのは仲間の中でも民代表の堅二だったんだろう。多分。そして伯父上に今まで敬語で崩すことが無かった上での言葉なので、つまりは肉親であるという事以上に武士としての上下関係も捨て去った≒武士ではなく冥人になるという意思表示でもあるのだろう。

 そもそも志村はたかの死には寄り添おうとする言葉があったのに、生きているゆなはスケープゴートにしようとする辺り、志村の思想の一番ドギツいところを突いている気がする。

 

 あと志村の伯父上、仁が葛藤していたところを知らないから余計に仁との齟齬が発生するんだな。だって知ってるのはゆなくらいだから。

 葛藤はほぼ志村を助けるまでの道中でやりまくった上で、ゆなが今の仁の選択を受け入れてくれる人間だったために、腹を決めたあとの状態しか志村は知らない。
 志村からしてみれば「甥が急にグレた」くらいの気持ちかもしれないけど、今までの経緯はコトゥンから聞いたことしか知らないだろうし、仁はいままでの葛藤をわざわざ志村に言うことも無いだろう。
 ゆなは完全に野盗としてしか見られてないから志村は話をしないだろうし。うーむ詰んでる。

 

 伯父上の誉のせいで境井殿が苦しむことになるじゃないですか!みたいな事は思うんだけど、伯父上が居なかったら楔と感情コントロールが無くなるので、行く末が典雄の更に修羅になってしまうので難しい。

 

・蒙古との戦いが終わっても生きなければならない

 蒙古と戦っている間はそれが生きる理由になりますが、戦いが終わったらその目的を失ってしまうという部分を、主要キャラクターの浮世草の最後で強く感じました。

 そもゆなに至っては途中でたかという生きる大目的を喪失しているので、コトゥン・竜三への復讐や蒙古の殲滅という部分があったのでどうにか生きてますが…。しかしゆなは仁への依存までには至ってないので、生きる目的を与えるためとはいえ戦い続けろとは悪い男だな仁は。それだけ死んで欲しくないという部分の裏返しでもありましょうけど。他の浮世草でもあったけど、妻子を亡くした男に「他の民を助けてやれ」と声を掛けてたりしたので可能性はあるなと。今まで明確な目標があったのにそれを失うと死を選んでしまう可能性があるというのは小茂田~金田の境井自身の経験もあるんだろうな。死にに行ったけど死ねなくてどうしようもなくなってしまったという経験。

 政子は志村城で若い武士の世話をするという目的を見つけ、典雄は僧と言えずとも対馬の守り手として杉寺を運営していくという目的を見つけていました。石川先生はどうなんでしょうね。ちゃっかり巴に会いに行きそうな感じもありますが。堅二は他のメンツに比べて依存心が少ないから普通に生きていくことでしょう。

 

・政子譚について

 はなが政子を恨むに至った発言、実際逆恨みではあるんですが、逆恨みだからこそ安達を恨む人間たちが集まったのだろうと考えるとやるせないですね。

 復讐に集まったメンツは逆恨みに近いものが多いし、卯麦のイベントに出てくる兄弟なんかは兄は自己正当化激しいけど弟は火種が父親にもあったのだと冷静な部分があり、そもそも正しさだけで人間の感情が割り切れないという部分をまざまざと見せつけてきますね。その辺の理解というか「共感して貰えてる感」が足りていなかった部分が積み重なって爆発した印象があります。

 安達はかなり武家として正しい選択をしてきたのでしょう。でも、感情とかわだかまりとかはそうすんなりと解決しない。むしろ時間が経つほどに酷くなるというのが理解出来て辛いものがありました。姉の話は政子の「良かれ」が完全に裏目に出た形だし、お互いに正当性がありながら感情が先行している部分もあり、とてもつらい。
復讐に身を窶す前の政子殿も見たいですね…。

 しかし、安達の屋形が襲われた時「政子だけでなく嫁たちも反撃した」とあるので、そも安達家自体が勇ましい女を好む性質があったのではないでしょうか。そこにはなが入っても上手くやっていけない可能性は高い。そして池田の手紙であろうものに「子供が出来ない」とあったので、これが池田ではなくはなが原因だった場合、どう扱われるのか良い想像があまり出来ません。

 ただ一目惚れとか恋とかそういう感情は理屈じゃないので~!!惚れたもの負けなので~!!政子は恋を邪魔して池田というクソ野郎を押し付けたようにしか見えないよね~~~わかるよ~~~~!!!

 政子殿の敗因はその人間のぐちゃぐちゃの感情を「正しい判断だから正しい」で切り捨ててしまった事ですね…。

 

・典雄譚について

 彼は境井と違って自身の誉が無いものだから、これだけは譲れないという行動指針が無い。だからその時その時に師事してくれた人の影響をモロに受けてしまうという部分が悪い方向に転がった結果だと思います。

 まさにあの法心の言う通りで、兄が居た時は兄の教えに従い、しかし兄が自分をかばって殺されるとどう行動していいか迷ってしまう。境井が居たから行動指針が出来たけど、一緒に行動するとどんどん過激な方向になってしまう。境井は師事する経験が無いから、まずいなという感覚はあっても上手いこと制御が出来ない。

 根は境井も典雄も激情家なんでしょうけど、どうしても境井だと教える経験が足りないし、感情に共感してしまう。志村はその辺の感情の切り離しが上手かったというのと、別の人間に教えていた経験があるからかもしれないな…と思っています。弟も居たはずなので。

 

・石川譚について

 巴のシナリオ上手いな~と思ったんだけど、何がって巴の姿を見ないうちにどんどんとプレイヤー側が巴≒強欲な化け物だと思いこむような構成になっていて、最後の最後で必ずしもそうではないと思わされるところ。

 途中での悪意とか憎悪の加速は誰がやってるかというと石川先生で、巴が野盗と組んでいたあたりの話で巴が自ら蒙古に寝返ったように思い込まされてしまうんですね。駄目だこの人。

 見返すと、実際は石川先生がやらかして巴に襲われた後、逃げた巴は途中で蒙古に襲われて連れ去られているのだな。自分から蒙古に飛び込んでいった訳ではない。そこで弓の腕を見込まれて、どうにか生き延びるために蒙古へ弓の指導を行っていたという話になると境井との会話に違和感が無くなる。後ろめたさが無いのなら顔を隠している理由が無いのだな~。吊るした死体の的?蒙古は槍に死体ぶっ刺したものを晒して居るし、何より巴が同じく捕まっていた女を矢で射ったというのは、竜三が一般人に火を付ける事を要求されたのと同じなんだよね。踏み絵です踏み絵。そういえばたかも境井を殺すよう仕向けられましたね。

 巴は戦いのない生活に憧れているような描写があり、それまでは死ねないと思ったからこそ蒙古に従ったし、石川先生の養子になる選択肢を取らなかったのではないかと。そういえばこの物語では貴重な「自分の夢に希望を残した」キャラだね巴は。

 というか、これもしかしなくても武士として召し抱えられるルート入りかけた竜三ですね?武士以外のメンツは基本的に生きることに貪欲なので、武士としての栄光≒命を賭して誇りを守ることよりも自身の命を優先するんですよね。そうすると石川先生も境井も「武士として召し抱えられるという栄誉」を捨てたという解釈をしてしまい、余計に齟齬が大きくなるという。
 巴の話の完結が、境井が武士で無くなった上県入った所というのも趣深い。

 少し話を戻すと、じゃあなんで石川先生はわざわざミスリードの種を蒔いたのかと考えると、巴が蒙古に寝返った事に対する少しの自己保身と巴を殺すという目的のために自分に覚悟を決めさせるためではないかと思っている。石川先生は故郷を囮にするレベルのど畜生な作戦を立てるが、身内にはトコトン甘いなあ。あと巴の真意が手紙を読むまで分かってない辺り、やはり先生は人の心にドチャクソ鈍い。

 巴がまだ正体を明かしていない時に境井がやたら変な発言をするなあと思っていたのだが、正体があの時点で分かっていたと考えるにギリギリの挑発だったね。

「男でも捕まえる気か」→男とは境井や石川

「俺の後ろに乗ればいい」→暗殺のチャンスがあるぞ

 

・たかについて

 たかはどこかで死にそうと思ってたけど、その死への道筋が「この人はこういう性質だからこうなりました」みたいな作り方だったのが凄かった。

 ゆなはたかを過剰な程に溺愛していた上に本土へ逃げるチャンスを逃せなかったから境井の頼みを断ったし、たかは助力を断られた境井の助けになりたかっただろうし「罰」のときのたかの目が境井みたいな三白眼になっていて、覚悟が決まってしまっている目なんですよ。境井はゆなの気持も分かるし本人の意思を尊重したいだろうし…という物事がドミノ倒しのように連なってたかの死と境井の慟哭に繋がる構成。天才か?

 たかが最後に遺したものが「冥人の装束」で、境井が冥人となる最後のひと押しになる展開の描写が凄い。たかにとって境井はお侍を越えたもの、民を守るために身を削るもの、憧れの偉いお方なのに、境井としては友だった(装束の説明文から)

 お互いに友と言いあえれば良かったのに、そうはならなかった。それでもたかとゆなは境井に救われた部分も確実に存在して、そのお礼としての遺したものと考えるとこの装束は重い。はぁー(嘆息)

 ツシマでのたかと竜三なんですけど、両者とも境井は同じ侍や勇士として並び立てる者という評価をしてるっぽくて、結局その判断が前者を死地に呼び寄せて、後者を追い詰めてしまったと考えるとかなりしんどいですね。

 

・竜三について

 菅笠衆が飯不足で死にかけてる中で、未だに理想の誉イズムを出している境井はどう映ったんだろうな。

 死にかけてる仲間のほうが多いってのに脳筋な作戦しか出さないし、人助けどころか自分たちが死にそうな中「伯父上を助ければ」とかいつ叶うのかわからない報酬を差し出してくる幼馴染は相変わらずで眩しくもあったんじゃないかなあ。

 菅笠衆スカウト前、もっと冥人化が進んでいる時に出会ってたら少し違ったかもしれない。でもそうはならなかったんだよロック。

二人の関係性、ゲーム本編前だとおおよその流れで行くと

 ○幼少期 幼馴染で一緒に遊ぶ

 ○父の死 志村が親代わりになる

 ○二人の仕合 仁が竜三に勝つ

 ○蒙古襲来 

くらいの流れでいいはず。

 流れを見直してみて思ったのは、竜三のコンプレックスにとどめを刺したであろう仕合の剣術が、仁が志村に習ったものであろうという事ですね。構造がエグい。

 地味に仁は何でも出来て、剣は志村仕込で弓は石川先生が「将来有望」と言うレベル。幼少期からの仲なら崖登りや水泳などもやってただろうし、そういう中でじわじわと差が見えてきてしまっていた部分もあるのではないかなー。でも仁は気づかないんだなー育ちが良すぎて人に嫉妬する概念があまりにも欠けている。あと何でも出来るから大体の事が「頑張ればある程度行ける」になっているのもあるかもしれない。だから民や他の人々に「お前たちも立ち上がれる!」って言っちゃうけど、それに鼓舞される人とより断絶を深める人が居て、それに仁が無頓着なのが辛い。

 竜三には剣しかないし、それですら仁に負けてしまうレベルで、その上冥人の技術を身に着けてたら太刀打ち出来ない。その上、武士の身分や誉という竜三が欲しい物全部捨ててしまえる事を知ったらもう敗北感しかない。つらい。

 でもその嫉妬心を直接ぶつける事はせず、口にも出さないのが偉い。仁は真っ直ぐな男だし、完全に嫌ってしまう前に離れたのかなー。そしてそれが最後の戦いに至る理由になっているのも辛い。辛いしか言ってない。

 

以下、ゲーム本編中の流れ

①境井との最初の合流時~船襲撃まで

 竜三が漸く見つけた居場所である菅笠衆も本編では既にボロボロになっていて、人が逃げるわ飯が足りないわ怪我人が多いわ、そういう状況で仁に再開したのも辛い。何故か?仁が武士でないものに片足突っ込んでも対馬を守ろうと奔走してるのに、自分は遥かにスケールの小さい菅笠衆一つ守れないからだよ。

 既にコンプレックス攻撃(しかも無自覚)をボコボコに受けるも、「俺が頭領である事を忘れるな(意訳)」など自身が菅笠衆のトップであるという事をアイデンティティとしてどうにか並び立とうとする。でも仁は無自覚に頭領みたいか行動をするし、竜三はピンチになって助けられる。つらい。

②仲間奪還まで

 背に腹は代えられないと境井を頼る。一部の菅笠衆が離反して余裕がなくなる。無事奪還した上に残った部下は忠誠心を相変わらず持ち続けているが、蒙古の懐柔策(多分コトゥンのせい)で疑心暗鬼に。

 この後恐らく本格的な寝返り工作

③金田城

 蒙古側に寝返る。発言からするに、小茂田の浜での仲間の死が尾を引く形で、死ぬことへの恐怖と仲間を生かすための決断という面がある。先日まで餓死ギリギリのところを綱渡りしていたため、恐怖はより強くなっていたのでは。

 武士になれば解決すると考えていた境井との認識差がより決定的になる。この状態でも「まだ取り戻せる」と言って竜三をあくまで友人として見る境井。しかし、武士は身分もだが心の有り様でもあるので、滅私奉公は竜三には難しい。

 コトゥンは戦力としての菅笠衆を把握していただろうからスカウトしたという部分もありそうだし、手下が飯を与えられたことでかなり蒙古寄りになっていたのも大きそう。何よりもあのまま「対馬の味方」である仁の隣に居られない・居るべきではないみたいな気持ちもありそうだ…。

 

④志村城開城

 生きるために選んだが、村人を生きたまま燃やすという事を強要され、メンタルがズタボロに。蒙古に寝返っても地獄、しかし日本側を裏切った後なのでどこにも行けやしない。恐らくだけど、竜三は自害や逃走は出来ない。菅笠衆を守るために寝返ったので、勝手に消えると菅笠衆が殺されてしまう危険があったから。

 

⑤たかの死~志村城での戦い

 この辺、最初は自分から死ににいったと思ってたけどなんか少し違うなというのがあり。なんとな~くだけど、どこかで上手くやれば仁を殺さずに済むと思っている部分があったのではないかなと。それこそ仁も思っていた「伯父上ならばきっとどうにかしてくれるだろう」みたいな根拠のない確信みたいなものではなかろうかと。

 結果的にコトゥンの策で「仁を殺さず」には済んだ訳だけど、菅笠衆は殲滅させられるし裏切り者としてもう完全に後戻り出来ないところに来てしまったし、最後に一欠残ったプライドともうほぼ確定した死を目前にして僅かに本音が出せたのが志村城の戦いだったのかなと。そこで全ての過去を喪う覚悟を決めた幼馴染が現れるという対比があまりにも残酷ではありませんこと?だから鞘を捨てて死ぬ覚悟を決めているし、漸く最後の最後に「お前のせいだ」が言えたのでは?

 しかしあまりにも最後の戦い直前の顔が、睨みつける事なく澄んだ悟った目をしてるんだよね竜三…険しく睨む仁とは対象的に綺麗な目なんだよ…。

 

  境井が捨てたものに関しては家や寝床が一番露骨で、最初の方に蚤の寝床で不満を言っていた境井が、最終的に屋根すらまともに無いあばら屋に思い出の品を置いている辺りに出ている。そして志村の城潜入時に自分の部屋に入った時にも「ここには戻ってこない」と言っている。それでいて腹を括れるだけの事はやっているので、もう竜三は色んな意味で勝てそうもないのだ…。多分勝とう、または無理してでも並び立とうとしたところから駄目だったんだろうけど…。

 

・堅二っていいな

 鎌倉時代矢張政志。トラブルメーカーだけど根は良いやつで悪知恵が働くけど詰めが甘いし使えそうなやつを容赦なく巻き込んでいく奴。死にそうになくて実際死ななくて良かったですね。

 なんだかんだ、礼儀は弁えていたり、ゆなとたかを気遣っていたりするのが良いですね。ゆなたかとの話もっと聞きたかった…。

 

・コトゥンについて

 コトゥン、作中で一番理性的な事言ってるし頭も回るし、だからこそこの極東に攻め入るためのトップにされたのでは?と思わなくもない。だって野心もあれば非常に賢い奴なんて跡目争いに巻き込んだら危険だから、できるだけ遠ざけたく無いですか?

 

 コトゥンは情報収集能力も高いので、当然ながら境井家から武家身分を剥奪される事と仁が罪人になる事を知っていただろう(書でもそれっぽい事書いてあったし)。

 コトゥンはハーンの一族の者として極東の地に遠征した将軍として残るだろうが、境井は仁の代で消えるため、名前が残る事は無いのだろうという事だろう。そして実際それはほぼ正しい。なんだけど、喪うことに対しての寂しさや無常観はあれ、境井はそこをぶっちぎって行く辺りが良いのだ(ろくろ)。あとコトゥンはやはり物凄い野心があるので自分の名前が残る事が重要だけど、境井はその「個人名が残る」という部分への意識が薄いのが相互不理解なんだなぁ。

 

 境井、基本的に育ちがいいんだよね。敵や悪人ではない他人は身分関係なく尊重しようとするし、倫理観はある程度備えてるし。ここでコンプレックスの話に戻ると、コトゥンも竜三もある意味コンプレックス持ち仲間だったのではなかろうか。境井が捕まった時、コトゥンは「境井が志村の影にいる事にコンプレックスを持っている」前提で話しかけていて、それはコトゥン自身がそうであるからという事も読み取れる。書状を読むとコトゥンは努力家であるし野心も備えていて、自分が優れているという自負があるのに実際はこの対馬に飛ばされているのだ。フビライの影、使い走りもとい実働部隊でしかないという部分にコンプレックスを持っているのだろう。

 なので普通は影になっている奴は何かしらコンプレックスを持っているだろうという前提で話しかけているのだろうが、残念ながらそいつは境井仁である。育ちの良さと頑固さと善性と手段を選ばない性格が悪魔合体したヤバい奴だ。育ちが良いので民に優しく、頑固なので正しいと思ったら全てを敵に回すし、敵と見なすと絶対に降らない。善性が高すぎて見返りが無くとも困っている人を助けて、手段を選ばないから敵と見なせば屋根から三連殺だろうが五本飛ぶ超威力クナイだろうが毒だろうが平気で使う。ヤバい。お侍の戦い方じゃねえ。

 境井は育ちが良くて竜三のコンプレックスが分かってないくらいなので、当然ながらコトゥンの話も「何言ってるんだコイツ」くらいのものであろう。だからコトゥンは冥人の予測が出来ないのだろう。

 普通なら勝ち目のない戦いに挑まないし、ただプライドが高いだけなら戦法が予測しやすい。見返りのない戦は損だし、お互い損失少なく戦いを終わらせるやり方があればそちらを取る。普通なら。だがそいつは境井仁だ(二回目)

 コトゥンが志村を幽閉していた理由は、お互いに取引が成立すれば最高だがそこまでは狙っていなくて、まず自分の知識と実際の武将の行動や考えのすり合わせをするのが目的だったのではないか。だから、志村城ではコトゥンは志村の戦い方を予測して橋を破壊出来た。分かりやすいから。

 だが、冥人は武将の誉だのプライドだのお構いなしなので、残念なことに対武将の手立てが通用しない。それでいて神出鬼没のゲリラ戦なので広い範囲を警戒させないとならない。あと崖もよくわからないフックショットとパルクールで登ってくるのでたちが悪い。なんなんだコイツ。

 

 あとコトゥンが理解しきれなかった部分、武士は土地にべったりだが、モンゴル帝国は元々が狩猟民族なので定住生活という志向が薄い。武士が誉を重視するのは知ってたけど、その誉は自分の生命や個人の名声という形で解釈して、代々治めてきた土地や家への執着というものを理解できていないままだったというのがあるのか?ありえるか?マッドマックス的なよく死んだ!みたいなものだと解釈したままだったのでは…?

 個人の命や名声が敵として大事なら投降を促す事が慈悲になるけど、その土地のトップである事が重要だから投降を煽りとして受け取ってもおかしくはない気がする。

 

・空(馬)で泣いた

 馬ですよ。ゆなに貰って名前を付けて大事にしていたあの子が、口笛を吹けばいつでも来てくれたあの子が、弓で怪我をしても走り続けて上県の真ん中まで走り続けて倒れたことに泣きましたよ。凄く頑張った…。

 

・伝説として変容する冥人とやべー奴境井

 そもそも作中には既に幾つかの「伝説」が存在する。琵琶法師が語る伝承系のクエストだ。あれらは実際の武具があるので元となる物語はあるのだろうが、あれの中にいずれ冥人伝説も組み込まれていくのだろうという雰囲気がビンビンに伝わっていた。

 いずれ伝説の中で「冥人」が「境井仁」だった事についても忘れ去られるのだろう。っていうか冥人奇譚が来ますしね。既に民衆の間では冥人と境井仁が結びつく人は少なくなってきており、その上容貌すら全く異なる伝説の存在として変容している。身長が凄くでかいとかどう見ても蒙古側の特徴なので、蒙古を倒せる≒更にでかいという思い込みか、上から飛び降りて闇討≒上半身に傷が出来る≒身長が高いという錯誤が発生したか、その辺で蒙古を倒した熊が冥人扱いされたのか分からないけど。熊に冥人の鎧を着せよう。

 その辺は置いとくてして、境井自身の事だ。境井の家が七代続いているとか仁自身も先祖代々の物は大切にしている描写があるので、その辺りを惜しむ気持ちはあるのだろう。武士は所領である土地との結びつきが強いので、代々治めてきた土地なんかは所領替えに対して民からも反発があったりするレベルでべったりだったりする。

 そこまでの土地や名前、そして受け継がれてきた武具があってそれを途絶えさせるという選択をしたのは仁なのだ。家の重さというのは散々描写されていて、それを政子殿のように奪われるという形ではなく自ら捨て去るという選択が可能であるというのが境井仁の最も特殊な部分なのではなかろうかと思ったりする。しかも他人を助けても自分の名前は残らないという聖人君子もかくやという行動で。

 

・アル中の解像度が高い

 ゆなの母親は明らかにアルコール依存症だと思うのだが、その辺りの描写解像度が凄い。ゆなが飲んでいた酒に対し「酷い酒だ」と言う境井に、「これは母親が好んでいた酒」と返すゆな。

 味を楽しむための酒ではなく、ただ酔うために安く量を飲める酒、鎌倉のストロングゼロ

 そんなストロングゼロを何故二人で飲んでたかというと、飲まないとやってられねえからだろうなというのが分かり、その理由は強大な敵への恐怖と逃避感情からの逃避なんだろうな(着地)

 

・最後の志村

 えー、自分は最初、殺す方を選択しました。この選択肢は手が滑ったとかそういう部分が無いのがよりしんどいですね。

 志村乃譚はコトゥン撃破後の弓の残心のような雰囲気があり、静かに進みながらそれでもどこか緊張感を保ったままでドキドキしました。お互いに家族としての情が存在していて、それでも信条のために袂を分かつ必要があった。その志村と境井の選択の総精算があのイベントだったのだと思っています。

 志村は確実に境井を罪人として処刑するつもりでいて、それと対峙したのなら殺すか殺されるかでないと誉にならないのですよね。生きてこそというのは志村の誉を捨てた境井の考え方でしかないので、志村の意志を尊重すると殺す選択肢になる上に生かしても誉なき人生になってしまうであろうというのが辛い。ただどちらにせよ今殺さないにせよ、志村は死にそうな気がしたんですよね。

 ところで最終戦で気づいたんですけど、志村は短刀を持っていないですね。甲冑の時にはあるので最終戦だけ短刀を持っていない。つまり自害する気がない。最初から境井に自分の生命を委ねるつもりだったんでしょうね。重いよ伯父上。

 

・仁とゆなは逃避仲間なのかもしれない

 父親を見捨てたエピソード辺りで仁の事を臆病なのかな?と思ったし本人もそう言ってるけど、時には命がけで逃避してますよね。具体例を出すと母親の死からの逃避、父親と迫りくる脅威からの逃避、父親の死からの逃避、そして伯父に実子が出来た場合に見捨てられる未来からの逃避。

 自分の命を危険に晒してしまうレベルで逃避した結果、逃げ隠れるという事自体が得意になってしまったのかもしれない。こっそり崖登りしたり抜け道やらを見つけていたりもするので。そういえば水泳も好きだけど、武士には不要(最重要ではない)のスキルばかり持ってるね…。アートブックにもやっぱり逃げていた事が書かれているしね…。

 多分それが志村の誉教育と剣術指導である程度矯正されて、やや猪突猛進タイプになったのだろうなあ。

 仁には元々、逃げを選択する事は良くないという意識があったのでは無かろうか。誉イズムだと武士は正々堂々戦って死んでそれで誉なので、間違っても(逃げを講じて)後ろから斬られる事はあってはならない。父親を助けに行けなかった事が楔になって、それが伯父上への行動に跳ね返っているとも考えられる。

 ここで話が変わるがゆなの事だ。ゆなはエピソードを進めていくうちに、幼少期から飲んだくれの母親からの逃避、子供の人身売買からの脱出、その過程で見捨ててしまったものがある事が分かる。生きるためではあったにせよ、負い目というのが確実に存在しているという事もわかる。たかは気付いてなかったとはいえ、前後の会話で性的虐待を受けていたらしき描写もあるので…。

 そして、その幼少期に逃げを選択していた両者が救われるのが、あの鑓川での酒を飲みながらの会話なのでは?

 ゆながたかを助けるために母親から逃げた事に対して、仁は姉として立派だと褒める。そしてその後に逃げを選択する事も必要なのだと言う時だけ調子が変わる。仁は自分にも言い聞かせている気がする。ゆなはその選択を正しいと言ってもらえる事で救われたし、仁は逃げも時には必要であるというエピソードを知ることで、逃避という武士失格な自分の性質を漸く受け入れる事が出来たようにも思えるのだ。

 それでいてその後に、上県でゆなから逃げの提案をされたときの「それは本心か?」「いいや」が際立つんだな~は~~~~~~~すげ~~~~~~~(語彙が飛んだ)

 逃げないと死ぬけど逃げっぱなしでも死ぬし、逃げに負い目を作って立ち向かうには恐怖があっても、それでも戦うのは尊い。すき…。更に言えば、ゆなの譚は今までの逃げに対する精算でもあるのだなあ。

 きっと仁に出会わなければ、ゆなはずっとあのわだかまりを自分の中に持ち続けたままだったのだろう。それが、自分のできる範囲でも蒙古や人買いに立ち向かおうという気持ちに向かったし、仁が手伝ってくれたお陰で三兄弟や黒犬の首を獲ることが出来た。それは明確に「仁によって救われた一人」であると思うんだな。